友人がシェアしてくれた空き缶を溜め込む癖のある人の話。
彼は一番安い共有住宅に住んでいて、それはカプセルホテルの賃貸版に似たような場所だった。部屋と部屋の間は薄い板で仕切られているだけだった。彼の隣には「変人」が住んでおり、非常に狭い空間に空き缶が山積みになっていた。それは本来、この住居のルールに違反していたが、誰もどうすることもできないようだった。
よにかく、空き缶があふれていて、防音性能が非常に悪かったため、隣人が「帰宅」するたびに、缶がぶつかり合う音がカンカンと響き渡り、その後には「シュツ」と缶を開ける音が聞こえてきた。時々は、奇妙なため息や缶を動かす音も聞こえてきた。夜、寝ている時にも、缶が倒れる音が聞こえることがあった。
確かに不気味で、騒音も厄介だったが、こうした安い住宅にはもともと「変人」が集まる場所だったので、次第に慣れていった。むしろ、あまり接触の機会があいまま、その「好奇心」はずっと残っていた。
前段時間に進展があり、この住人は長い間家賃を滞納していたため、ついに退去させられ、すべての空き缶も片付けられた。
うん、仕方なかっただろうね。でも、あの空き缶の消失は、当時この話を聞いた私に少し恍惚とした気分を抱かせた。
実は、私は彼のことを理解できるような気がした。もし意味を失うことが多くなりすぎたら、働いて得たお金で缶を買うこと、それも特に自販機で買うという行為が、人と直接つながることはないが、社会の流れと何かしら関係している。人生は空き缶という「計数機」と証明をえたようなもので、測ることができ、記念することができるようになった。永遠に増え続け、移動し続ける空き缶。それは、彼がまだ「生きている」こと、あるいは彼にとっては「努力している」ことの証だったのだろう。
ある意味、彼の空き缶は彼の虚無に対して抗っていた。そして、あなたには自分だけの空き缶があるだろうか?