
ドラム『世界一難しい恋』で波瑠ちゃんが、温泉チェーンの社長に「どうしてお風呂上がりに牛乳ださあいの?」って、ちょっと怒り気味に不思議そうに聞くシーンがあった。あれ、すごく印象的だった。
…と言うのも、めちゃくちゃ分かるんだよ、その気持ち。あのシーンを見た瞬間、「あ〜〜日本の銭湯行って、風呂上がりにキンキンに冷えた牛乳飲みたい!」って衝動が湧いてきた。ドラマの中の美咲みたいに、近所の銭湯でおばあちゃんに挨拶して、冷蔵庫から瓶の牛乳を取り出して、ふうっと満足げに飲み干す。そう、あの表情がないと完成しない。
願いが叶った。
コーラでもビールでもなく、やっぱり牛乳がいちばん「しっくり」くる。先頭の壁画や洗面用の桶と同じように、瓶の牛乳って、もはや銭湯文化のひとつの「定番」なんだと思う。なくてはならない存在。
戦後の1950〜60年代、日本はようやく戦争の影から立ち直りつつあって、都市化も少しずつ進んでいた。いわゆる「下町」では、都市に人が集まり直して新しいコミュニティができていった。まだ家庭にお風呂がない時代、銭湯は地域の生活の中心だった。
そして、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」が登場した頃、銭湯はそれらを地域の「みんなの家」として先取りして導入していた。そういう流れの中で、明治は180mlの瓶入り牛乳・コーヒー牛乳を先頭に提供し始めて、瓶牛乳が一気に広がった。まさに大成功な販路開拓だったんだよね。
そしてその結果、「銭湯=瓶の牛乳」っていうイメージが定着した。
でも、2025年の3月・4月。つい最近、明治ホールディングスが瓶の牛乳とコーヒー牛乳の販売を全面終了してしまった。理由は、銭湯の減少とグラス瓶のコスト問題など。それを知って、多くの人が「え?銭湯に瓶の牛乳ないの?」「銭湯に瓶牛乳がないなんて、あり得ない!」って声を上げた。
それは、多くの日本人にとって「またひとつ、日本らしさが減った」という実感なんじゃないかな。だって、ある意味60年以上も続いてきた風習だし、瓶牛乳そのものも調べたら1928年からの製品らしくて、「ほぼ100年選手」。その記念イヤーを前にしての終了、なんとも言えない寂しさがある。
私も、本当に残念な気持ちになった。東京に来て、わりとすぐに銭湯での牛乳体験は叶ったけれど、子どもたちを連れて温泉に行くと、やっぱりコーラがいいていう。いやいや、「銭湯の後の牛乳がいちばん美味しい」って、どうしてわからないの!?って、ちょっと思っちゃう。
この前、『湯道』って映画を一緒に見た。子供達にも「お風呂文化」の良さを知ってほしくて、わざわざ誘って。その中で、刑務所の食堂で囚人たちが「出所したら最初に食べたいものは?」って話すシーンがある。あるサプキャラが「俺はコーヒー牛乳が飲みたい」って言った瞬間、みんなが笑う。ても彼は、出所してすぐに銭湯に向かう。けれど「おじさん」はもうなくなていて…ちょっと切ない気持ちを抱えながら、コーヒー牛乳を1本、2本、3本。そこから映画の感動的なクライマックスへと繋がっていく。
栗くんと私、映画を観終わってから、近所の銭湯でコーヒー牛乳を飲んで、「あ〜、やっぱりこれだよね」って。栗くんはどこかで「瓶の牛乳の方が美味しい」って聞いてたらしくて、その後明治牛乳を追加。「やっぱり、銭湯の牛乳が一番うまいよなぁ」って。
だから、昨日の「水曜奇遇夜」にLeeさんがその話をしてくれて、かなり衝撃を受けた。今朝になって調べてみたら、やっぱり明治が供給をやめたのが理由だった。もちろん、別の瓶牛乳メーカーを見つけて導入してる銭湯もあるけど、これはもう「時代の流れ」なんだろうな。
時代位の変化が早すぎる中で、日本もどこか「なくなったら仕方ない、生活は続くし」って、少しずつ慣れていってる気がする。でも私は、やっぱり寂しい。特に最近の技術の進化の速さの中で、「変わらないもの」「ずっとそこにあるもの」ってすごく大事にしたいし、大切にしたいと思ってる。