X(旧Twitter)で、日本のポスターはとても複雑で、いつも文字が多く、情報量が過剰なのではないか、という議論を目にした。
確かに、その特徴はかなり保はっきりしていると思う。けれども、私にはそれもよく理解できる。
まず、日本は文化的な商品が非常に豊かに供給されている国である。次に、その販売は今なお「売り場」という場所に大きく依存している。実店舗でアレオンラインストアであれ、そこには常に多種多様な商品が並び、文化商品もまた、その例外ではない。
さらに興味深いのは、それぞれの文化商品にそれぞれの受け手が存在していることである。そのため、ほとんどの文化商品は、必ずしも大きな序列の中に置かれているわけではない。少なくとも売場においては、一つ一つの商品が、自分の魅力を自分で説明しなければならない。
そこから、「陳列棚の前で、そのまま消費の判断をしてほしい」という願いが生まれる。デザインの方向性も、かなり明確になる。
つまり、そのポスターは、これが何であるのかを伝えたい。特徴も、見どころも、売りも、できるだけその場で説明したい。そう考えると、どうしてもポスターに載せられる情報量は大きくなっていく。
もちろん、日本にも、判断がすでに共有されたあとで成立するデザインは多くある。そうしたものは、しばしば非常に簡潔である。たとえば打ち放しコンクリートの建築や、大きなプランドの衣服などは、そのよい例かもしれない。