昨日は友だちを誘って、砧公園でお花見をしてきました。私たちはみんな中国出身なので、この「日本式」のお花見をずっと楽しみにしていたんです。

ちょうど桜が散り始める時期で、大きな桜の木の下を見上げると、花びらがひらひらと落ちてきて、お酒のカープに舞い込んだり、肩にふわりと乗ったり。まさに「あの雰囲気」というものを強く感じました。

アニメやドラマで何度見てきたこのシーンを、ようやく現実で体験できたわけですが、いざ自分がその場に立つと、「やっぱり言葉にしづらいな」と思いました。まるで「そう、あの感じ……」としか言えないような、不思議な感覚です。

友だちの一人が、「桜の雨が降ってくるようなこの瞬間は、幸福っていうのが一番近いけど、何かがまだ足りない気もする」と言っていて、それはみんな同じ気持ちだったんだと思います。

私自身も、ここに至るまでのいるんな気持ちが重なり合っていると感じました。中国から抜け出して、ようやく一息つけたという安堵感や、これから先の未来に対する不安もあるし、それら全部が今この一瞬に溶け込んでいる。それでも、この瞬間があまりに美しいからこそ、「重し」のように心を支えてくれるんです。

そしてもうひとつ思ったのは、この儀式感によって「ここに暮らしている感覚」が少しだけ芽生えたこと。きっと日本の人たちは、花見のたびにもっといるんな思いを積み重ねているんじゃないでしょうか。やっぱり、このいう気持ちも一言では表せない「何か」があるんだろうと思います。

家族や友人と、毎年同じ季節に、同じ場所で、満開の桜が散って行く様子を何度重ねていくうちに、きっと「時間」そのものの捉え方も変わってくるんだろうし、過去と未来の思いがいっぺんに胸に押し寄せるような、不思議な情緒を味わえるのかもしれません。

時間が、これからも私たちの上に優しく積み重なってくれますように。